この冬は珍しく寝込まなかったものの、なかなか頑張ることができない日々が続いている。

2月14日は笹井さんの記念日で、去年は笹井さんが会いに来てくれたように東京にも雪が積もるほどたくさん降って、みなで喜んだ。ただこの日は、私が長引く風邪でどろどろになっていて、普通は欠席するところなのだが、私が行かないと、お忙しい方々がまた日を調整していただくことになりはしないかと心配で、激しくどろどろのまま参加して思うように話すこともできなかった。それなので、今年を楽しみにしていたのだが、祖母の危篤を受けて、その頃は南にいた。
私の不参加により今年の会自体が流れたと後で聞き、せっかくの記念日に申し訳なく、残念に思った。

悪寒などのためにうまく動くことができず、やっと発つことができた日には、また霧のために羽田に戻る可能性もあるという条件付のフライトだったが、時間がかかったものの無事に空港に着き、告別式にやっと間に合った。

聞けば、霧で到着できないことも少なくないという。
両親が飛行機が苦手で、一緒に新幹線や夜行で帰ることが多く、私は、そんなことさえも知らなかった。
高台にある斎場から帰る道で、雲海のように霧が広がるのが見えた。
あそこは海かと訊ねると、違うという。
そんなに霧が深いところだったという記憶はなかったが、この頃にはこの地に立つことがなかったせいかもしれない。東京では冬晴れの日が多く、傘さえ忘れて行った。
そういえば、近くには霧島という地名があったことも思い出した。

如何に歳を取ろうとも、人の死は辛いものだと思っていたが、80歳ではまだそうでもないかもしれないが、百歳になると、どこか「お疲れ様でした」「よく頑張りました」という気持ちになる。それは祖父母共に眠るように逝ったためであるかもしれない。亡骸も、天寿を全うした人の達成感のようなものがあって不思議と明るいのだ。

三年前の祖父の納骨の時に、小さい骨壷があるのが見えた。
当たり前のことであろうが、子供用の骨壷というものがあることをその時に初めて知った。
父の弟にあたる赤ちゃんを生後半年でなくしたと聞いていた。
それは、若い母親であった祖母にとって、どのような苦しみであっただろうか。
百年を経て、やっと母親は、その子のそばに行くことができたのである。

祖父母が長い年月を守ってきた仏壇の引き出しを開けると、普通のお経のほかに、子供を供養するためのお経もあり、長く生きた人の、長く続いた悲しみを改めて思った。

新幹線で帰る両親を駅に見届けると、帰りには時間があったので、笹井さんのお参りをしたいと思ったが、忌中の身なので、ひとり空港で空と山にかかる霧を見ていた。
考えてみると、私が初めて骨壷に触れたのは、親族のものではなく笹井さんのものだった。その死より、死が恐ろしいものではなくなっていた。
私が危篤状態になった時には、迎えに来る人がいなかったためにこちらに戻って来たことなどを思い出した。

なぜか持って来ていた本『石田波郷句集』を一度も開かなかった。
ヒミズ

ヒミズとは日不見、モグラ科の動物のことだそうだ。
ヒミズのように目立たず、ただ人並みに暮らしたいという少年の願いは、普通の両親をもたなかったことによって、無惨に破壊される。
家庭内暴力から発する不幸は、少年と少女を八方ふさがりの場所に追い込んでゆく。

園子音監督は気になってはいたが、暴力表現が私には無理そうで、『愛のむきだし』しか観ることができていなかった。
今回は若い世代が主役ということで、観に行こうと思った。
なるほど評判に違わず、染谷将太と二階堂ふみが素晴らしかった。

実際の事件から題材を得た「誰も知らない」が、主演の柳楽優弥の演技が素晴らしかっただけでなく、映画自体がよかったと思わせるものに対し、この「ヒミズ」は、主役の若い二人の演技がよかった、という印象が強い。
映画としては、わずかに何か足りないと思わせるのは、リアリティの問題かもしれない。
多くの時間を犯罪を探して彷徨っていたとしても、そんなに無差別殺人的にナイフを振り回す人間に遭遇するとは思えない。何かそういうところが、虚と雑な感じを受けてしまい、勿体無い気がした。

また、東日本大震災を受け、脚本を急遽書き換え、舞台を震災後の被災地に変えたという。
あの壮絶な破壊の後に、役者を立たせ、あれらの画を撮りたかったのだと思うが、何か成功していないように感じた。
現代の日本における暴力や不幸は、もっと日常や普通の人の心に潜んでいるような気がする。
そう。ちょうどあの「誰も知らない」のように…
ほんとうは、それが恐ろしいのだ。
震災の圧倒的に悲惨な風景や状況を盛り込むことで、焦点が拡散してしまったように感じる。

だが、震災後の今の日本に監督がメッセージを渡したかったのも、理解できる。
おそらく原作が素晴らしいのだろうと思うが、主役の二人が、原作や監督の想いに、ものすごい熱さで応えている。
染谷将太は、「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」から特殊な力を発揮していたが、それも、「アントキノイノチ」も、この「ヒミズ」も、暴力を受ける役で、それだけ巧いのだろうが、目をいつもとろんとさせて病的な顔ばかり見ていて切なかった。しかし、ベネチア映画祭で日本人初の新人賞ダブル受賞をした時に、普通の青年としての姿と笑顔を見て、安心する。

原作は未読であるが、原作とは映画ではラストとは変えてあるそうだ。
このラストに、監督の伝えたかった真の想いがあるのだろう。
二階堂ふみの演技の熱量が、特にこの映画の要であり、全体を牽引している。
「誰かに懸命に背中を押してもらった人間は、その後もどこまでも歩いていける」というようなことを、穂村さんが前に言っていたのを思い出していた。
私も誰かの、そのような力になりたく、「生きてゆけ」と言いたくてライブを続けている。

これは、現代日本の『罪と罰』であるだろう。
人は生きているかぎり、生き直すことができるのだ。
そして、人は人の力になることができる。

絶望の淵にある人にこそ、観てほしい。
ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト」展

会期終了間際に間に合った。
海岸線をバスに乗って行く海に面した美術館は、私の好きな場所のひとつだ。

ベン・シャーンのこの展示には、ラッキードラゴンシリーズを観ておかなければと思ってやってきたのだが、他の展示もとてもよかった。
1954年にビキニ環礁で行われた米国の水爆実験において被爆させられたのが、ラッキードラゴン(第五福竜丸)という、「幸福」を意味する名前をもっていることが、今の「福島」の状況と重なって皮肉である。しかも、これをいま福島県立美術館が所有していることも…

第五福竜丸だけでなく、冤罪やら社会的事件を扱った、弱者に向ける目が温かい。
人として、芸術家として、不正に憤り、自分の表現で、それを広め、残し、社会をよい方向に変えようと努力し続けている。

ベン・シャーンは、自身の写真については主に絵画のソースとしていたようであるが、写真の展示も面白かった。特に写真を元に絵画にしているところが、何を描き、何を削ぎ、何を凝縮してゆくのか、絵画の作成の過程が、少し垣間見えるようで興味深い。ここでも、主に貧しい労働者や、当時は差別のひどかってであろう黒人へ向ける眼差しが温かい。

だが、私が最も打たれたのは、それらが今回来ていることも意識していなかった、可憐なリトグラフ群だった。
その部屋に入るなり、頭で素晴らしいと感じる以前に、ふわりと涙が出た。
それは、不意打ちめいて、驚いた。

『版画集:リルケ「マルテの手記」より:一行の詩のためには…』の一連は、あまりにも素朴で、パソコンの画面や写真で見ても、その素晴らしさが今ひとつ伝わっていなかった。
この簡単な線、多く削ぎ落とした先に、〈詩〉があった。

カタログで知ることになるのだが、ベン・シャーンは、リルケが28歳を迎えた年に7年がかりで書いた『マルテの手記』に、同じく20代の終わりに出会い、感動し、70歳にして、この美しい詩画集を完成させたのだという。

それは、美しいはずだった。
そして、その翌年に息を引き取ったのだという。

ベン・シャーンをして、そこに辿り着くまでに、それだけの歳月を必要としたことに、改めて感動した。顧みて、自身の粗雑な表現と態度を恥じた。
言葉を沈殿し、エッセンスにまで凝縮しなければ。
そして、そこに辿り着くためにも、続けることなのだ。

若い頃には主に、社会の不正に目を向けていたベン・シャーンは、最晩年において、ようやく最も自身が描きたかったものを描くことに到達する。
それは、経なければならない過程であり、そこを経たからこそ、このように美しいものが生み出されたのであろう。
神の祝福を感じる。
そして、ベン・シャーンの表現には常に、変わらぬ人間への愛が貫かれているように感じた。

神奈川では終わったが、これから、名古屋、岡山、福島を巡る。
今この時に観ておきたい展示だ。



 人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。詩は人の考えるように感情ではない。…詩は、本当は経験なのだ。

   (リルケ『マルテの手記』)
プロフィール

いつのえみ

Author:いつのえみ
伊津野重美 

第一歌集『紙ピアノ』
1st Album『ひかりの素足』
詩誌『生命の回廊』発行・編集。

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フォルテピアニシモ vol.15
 
~ All can sing ~

http://paperpiano.la.coocan.jp/sing%20html.html

伊津野 重美 朗読

2017年11月3日(金・祝)
12:30 開場/13:00 開演

場所:STAR PINE'S CAFE

前売・予約¥2,500円+1drink
ペアチケット前売・予約のみ
     ¥4500+2drink
当日¥3,000円+1drink
チケット前売発売10月3日より
 前売は店頭販売かweb予約
予約アドレス
https://ssl.form-mailer.jp/fms/f7f014c8172636

STAR PINE'S CAFE
http://www.mandala.gr.jp/

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伊津野重美 1st Album 

『ひかりの素足』
歌人伊津野重美による初の朗読アルバム。
ゲストにチェリスト森重靖宗を迎えて、
宮沢賢治の童話「ひかりの素足」と
日本近代詩の抒情世界を精緻に紡ぐ。

全9曲、48分。定価 2,500+税

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「生命の回廊 vol.3
『えーえんとくちから 
  笹井宏之作品集』特集号」

2011年11月刊行

井口和泉 浦歌無子 
岸田将幸 斉藤斎藤
斉藤倫 樋口由紀子
ひろたえみ 三角みづ紀
ヤリタミサコ 夕暮マリー
伊津野重美

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