レミー2007-08-19 Sun 18:43
空けられる日があったので、渋谷で映画を観ようと思っていた…が、猛烈な暑さに断念。倒れます。。と無理をせず、意気地無く夕方から出かけ、近場でリハビリもかねて心にも体にもやさしそうな『レミーのおいしいレストラン』を観る。字幕版のレイトショーだったので、大人ばかりで静かで、ほっとする。
http://www.disney.co.jp/movies/remy/flash/index.html もちろんお話はおとぎ話なのだが、最後の評論家の評が、とても素晴らしくて大いに感心する。 これは、料理評論家の料理への発言なのだが、すべてのジャンルの評論の基本で手本でもあるだろう。批評する対象(つまり料理や芸術)への愛と、それを創造する者(料理人や職人や芸術家)への尊重と敬意を忘れないこと、それから、偏見を越えてゆくこと、自分自身の精神を自由に保つこと、そして、謙虚で自分自身を省みる視線を失わないこと… そして、冷酷で尊大な評論家を転身(改心?)させたのは、芸術(ここでは素晴らしい料理)の力だった。 さすが、ただのお子様向き夢物語で終わらないところが、ディズニー・・・説得力がある。 偉そうな評論家に見せたい。高みからものを言うことに慣れている人は、何かを失っている。 私にも「〜すべきだ」的な発言をされ、驚くことがある。しかも、そのようなことを言う者にかぎって、その「〜」が自分でできていないように感じる。なぜそんなにも自分だけは、棚上げして特例にできるのだろうか? 「そう言うあなたはできるのですか?」と言いたくなる。が、勝手に人を見下している机上の楼閣の住人には、言葉は届かないだろう。 学びたく向上したく、いつも思っているが、自己批判なくこういう発言を無神経にする人間からは、得るものは決まってない。そもそも、否定のための否定や、自分自身の正当性を主張し、野心を満たすための理論のための理論であることが多く、初めから真っ当な批評でないためだ。 批評は自由だ。だが、なぜすぐに人の上に立とうとするのか、立っていると思えるのか…不思議だ。 だが、そんなものに関わり合っている時間はない。 おいしい料理も美しい音楽も素晴らしい文学も、人を喜びや解放や慰藉に導く。 そちらだけ見て、進めばよいのだ。
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「朱霊たち」2007-02-11 Sun 00:02
現役舞踏家による舞踏家を使った舞踏劇映画。世界初のものであろう。
http://www.shureitachi.com/ もっと早く観たかったのだが、レイトショーということなどもあり、とうとう最終日になってしまった。 ポレポレ東中野は超満員で、後ろには簡易椅子、前に桟敷席、それに二つの階段通路には二人ずつがぎっしり座ったうえに、さらに出入り口付近では立ち見さえ出た。どんなにこのような映画が待たれていたかということが分る。 そして、開演前のトークショーで岩名雅記監督が、そのような観客の状態や時間のことを気をもみ胸を痛めながらお話されている様子に、特異なジャンルでありながら、ここまで人が集まった理由がよく分る気がした。これは、心ある人が常ならぬ渾身をこめて創った作品なのだ。 よい舞踏は〈詩〉であると思うのだが、『朱霊たち』は、それを映像作品にしたものである。 プロローグには寺山の短歌を使い、そして、映画タイトルは葛原妙子の歌集名からインスパイアされたというほど短歌が好きで、文学にも造詣の深い岩名雅記の創り出した世界は詩情に溢れ、そして難解でもある。それは、昭和二十年代の日本をモノクロフィルムで再現しながら、特攻帰りのヒノマルの役をフランス人がやっていて、科白がフランス語と日本語でそのまま会話しているなど、全編シュールである。これはファンタージーであり、すべてが夢や劇中劇さえ含む虚と実を入り乱れさせた重層的な幻想となっている。 一本の折れて立ち枯れた木、そして、不治の病をもつ者達が幽閉された廃墟のような洋館も、存在自体が詩である。 折れた木、朽ちかけた館、その中を上へ上へ向かう梯子、上から垂らされたきらきらと光るテープ、不具の体でよろめき立とうとする姿…これらを見せること自体が、岩名の舞踏なのだ。 この垂直への意志は、天と地、エロスとタナトス、聖と俗、祈りと呪いでもあり、せめぎ合い両方に引っ張られ、引き裂かれながらも不様にも必死で立とうとする時、そこに〈詩〉が生まれる。 太陽の光に当たると死んでしまうという不治の病の他に、それぞれが傷や障害をもつ者達であり、ガスで安楽死させてもらえる日を待っている。 特にマリアは、話せず聞こえず歩くこともできない、もっとも奪われた人物として造型されながら、聖なる存在である。人間が壊れ、明け渡され、もっともモノと近づく時に、かえって完全性を獲得してゆき、そして、死者こそが、まさに世界と一致した存在なのだろう。 ほとんどが舞踏家を使っているゆえに、科白になると厳しい者もいたが、全体ではそれさえも不可思議感を醸し出す味わいになっている。なかでも、両の手指がくっついて生まれてきたためにヒヅメと呼ばれ、見世物小屋に出ていた老人の演技も存在感もよかった。 雪の池の前に立つヒヅメ、動けないまま横たわり、蹄のような手を水に浸す姿、そして、その風雪に耐えてきた人の表情… 終了時には映画でありながら、しかも23時をかなり越えた時間でありながら、会場から拍手が起きた。初監督作品でありながら、舞踏家・岩名雅記が信望と敬意を集めていることがよく分った。 命、そして舞踏への強い思い、失われたもの朽ちてゆくもの、死者への哀惜が、監督岩名の美学に貫かれ迫ってきた。 映画『朱霊たち』は実験的であり、その世界観は見る者を選ぶだろう。しかし、これは、常に独自でオリジナルな活動を展開してきた岩名雅記の勇気ある挑戦であり、舞踏と映画双方の世界に向けて放たれた清廉な矢だ。 無名にて死なば星らにまぎれんか輝く空の生贄として 寺山修司
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