『インディアナ、インディアナ』2006-08-15 Tue 13:11
バスに乗っている時に思わず涙をこぼしかけて、この本のことを考えていたことに気づいた。http://www.amazon.co.jp/gp/product/4022501871/sr=1-12/qid=1155609774/ref=sr_1_12/503-3344032-9408758?ie=UTF8&s=books
過去の記憶、手紙、さまざまな人の言葉の断片からなるこの物語は難解に思え、これは物語でありながらひとつの詩のかたちなのだと気がつくまでに時間がかかった。完璧な愛がすぐそこにありながら、奪われた男の物語。しかも、その中心であるこのノアも精神を病んでいるらしく、真実か夢か妄想か分からない。すべて不明瞭に始まり不明瞭に消えてゆく。そこに残る確かなものは、愛と喪失の悲哀、そして、インディアナの美しさ… 読み進めるうちにやがて、精神に疾患をもったノアとオーパルが、その病によって引き裂かれてしまったことが浮かび上がってくる。人や自分に危害を与えてしまう可能性のあるオーパルは病院へ収容され、常人と異なるノアは夫でありながら自分の妻であるオーパルの後見権を与えられずに、面会さえ許されない。生木を裂くように裂かれただけでなく、常時には明晰で聡明ですらあるオーパルにも、当時の精神病に対する残酷な治療法が施されいるであろうことが示唆され、そこからオーパルを救い出せないノアは苦しみ続ける。烈しい渇望と苦悩のまま生き続け、老いてゆかなければならなかった男の痛切な悲哀が満ちる。しかも、ノアには手立てがなく、自分からオーパルが奪われ続けることが理解もできずに、子供のようにただ地団太を踏み、オーパルを求めるしかないのだ。 インディアナの花々が咲き木が匂う豊かな自然描写には、「インディアンの土地」の名を持つ地の、無垢で純粋なものを虐げてきた暗い歴史が暗示されていて、それゆえにいっそう美しい。 このように美しく悲しい愛と喪失の物語に出会ったことがない。ノアとオーパルを隔てた「社会」や「常識」というものの方が間違って薄汚れて見える。しかし、誰も悪い者など登場しないことが、ノアの、そして読み手のやり場のない悲しみをいっそう深めている。 社会から隔離しなければいけない狂人であるところのオーパルからのノアへの手紙は、無垢で慈愛に満ち祝祭的な美しさを放っている。無垢で天上的な愛の世界は、もはや狂者の妄想のなかにだけあるのかもしれない。そして、常人には見えないものを見、常人の社会的枠組みのなかで生きていきにくい芸術家というものもまた、狂人の一種なのだろう。 * いとしいノア 早く来てください。何もかもがとてもキレイです。インディアナはキレイです。ライラックの咲き乱れるインディアナ。あぜ道からホタルが飛び立ちトウモロコシがそだつインディアナ。きのうの夜わたしは、ここのちいさな中にわに石鹸がいっぱいあるユメを見ました。そのうちに雨がふってきて石鹸のシャボン玉が上がってみんなすっかりキレイになってそのあとモーゼがそのことを書きました。長い、長いおはなしを書いてそのあいだわたしたちは腰がだんだん太くなって頭ガイコツがどんどん細くなって、そのうちに誰かが誰かを送ってよこしてわたしたちの絵を土でかいて、それからみんな古くなった顔をはずして、どこかにかくして、それから立ちあがってこがね色のひろいひろい野原をいつまでもかけていきました。 元気で オーパル 『インディアナ、インディアナ』 レアード・ハント
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