ツナグ
治療に行く予定の日だったのだが、朝から体調が悪く、一日休んでいた。
夜になって、痛みが引いたので、月を見るために外に出る。
夜でも、もうぎゅっと冷え込むような寒さもなく、汗ばみもせず、今がいちばん私の体に合っている、よい季節だ。
スーパームーンを堪能して帰る。

戻ってからも何回も月を確認し、水晶を月光浴させ、月が西側の窓から確認できるようになってから、本を読み出した。
もっと軽いものにしようかと別の本を最初に取り出したのだが、気になって始めたのは、辻村深月の『ツナグ』。驚くべきことに、満月の夜にたった一度だけ、亡くなった人に会うことができるという話だった。

前にも、この本を手に取ったことはあるのだが、なぜか読まなかった。ようやく読むことができる時期に来たのかもしれない。

生きている者が、亡くなった人に会いたいとリクエストして、死者にはそれに応えるかどうか選択する権利があり、その両者をつなぎ、会わせる者が、「使者(ツナグ)」という設定だった。

ただ、生きている者も、亡くなった者も、生きている時も、亡くなってからも、両方にそれぞれ一度しかその権利を使うことができない。
一度に一回きりを誰に使うのか…というのが、問題なのだ。

まだ若い作者のようで、死生感のようなものは、やはり若い感覚だと思ったが、オムニバス形式で書かれているのだが、一人一人の嫌な感じなどが、細かい心理描写など実によく描かれていて感心して読み進めていたが、急に打たれたように悲しくなった。

内容が悲しかったからではない。この登場人物達のように自分も亡くなった人に会うことを考えていたら、会った時の感触のようなものまで、まざまざと思い出し、辛くなってしまったからだ。

もっとそれに相応しい人達がいると思うものの、応えてもらえるのならば、私は迷わずに、すぐにその権利を使ってしまいそうだ。生きている間に、たった一度しかその権利を使うことができなくても…
思い残したこと、私にできることを聞きたい。
そう強く思い、ひどく悲しい気持ちのままで眠ってしまっていた。

けれども、目覚めてからは別のことを考えた。
おそらく、死者の眠りは、誰も妨げてはならないのだ。

本自体は、救いのあるものでよいものであった。秋には映画化が決まっているようだ。
それにしても、満月の夜に偶然、読むことができて、不思議だった。
ある意味、私も月の力と「ツナグ」によって、会いたかった人に会うことができたのかもしれない。
【 2012/05/06 22:04 】

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花信
少し痛みを伴う新しい治療が始まってから1ヶ月近くになり、手首はまだだが、背中のケガのような部分は、少しよくなって来た。
今年は、ずいぶん花に助けられている。
連休にずっと部屋で休んでいる今は、せめて贅沢に百合の濃厚な香で部屋を満たしている。強い香りは、痛みへのカンフルになる。
いつもよりも朦朧としていることを、心が近い友人にはメールでも、すぐに見抜かれてしまう。

桜が咲くまでは逡巡していた今年の春は、桜以降は、堰を切ったように溢れ出した。いっせいに花開くという北国の春のようだ。
外に出る度に、新しい花を見つけ、春が深まってゆくのを感じる。

新たに壊してしまった体を治すために治療に通う日々だが、ちゃんと私にも、また春が来てくれたという幸せを噛みしめている。
東北にも、ようやく今年の桜が届いたようだ。
この桜を悲しく見ている人達も多いことを思う。桜を見ると、喜びだけでなく、どうしても亡くなった人を思い出す。
連休の最初には、近くで八重桜を見た。今年最後の花吹雪を浴びる。
花を楽しむ気持ちには、なかなかなることができなかった昨年の分も、今年はみなが桜を愛おしんでいるように見える。

花の命は、ほんとうに短く、樹の花はまだ長いほうで、花びらの薄い花は、あっという魔に時期を過ぎる。私の好きな花韮のような可憐な草花などは、愛らしい花は数日しかない満開の時に雨が降ると、その花びらもくたくたになってしまう。それだから、いっそう出会えた喜びも大きい。

連休は、すべて予定をキャンセルし、治療と休息に過ごした。その間、あれもできるこれもしようと、溜まっている用事や雑務などを考えていたが、結局ほとんど何もしないままに、終わっていこうとしている。

私は、字をあまり書くことができないので、お手紙をいただいてもほとんど返信ができない。だが、桜の頃には、お世話になっている方に、年に1度の手紙を数通だけ書こうと、便箋や文香を用意していたが、1通しか出せないまま、いつも美しいお手紙をいただく方から、新たにお手紙をいただいてしまい、申し訳がない。

私は、いつも遅れてしまう。。



心配や励ましをいただき、みなさまありがとうございます。
私は大丈夫で、秋に向けて調整しています。

私のライブ「フォルテピアニシモ」について、いつも文化の日がご都合の悪い方などもいらっしゃるようなのですが、今年も私がお願いするよりも前に、会場が同じ日を押さえてくださっていました。ありがたいことで、思わず涙が出ましたが、またいらっしゃれない方には申し訳ありません。
なんといっても、年に1回なのがいけませんね。
年に2回なら、がんばればできそうな気がするのですが、朗読のソロライブには、立派過ぎるライブハウスですので、ご来場者が少ないと会場に迷惑をかけてしまいます。
私のライブは、どうもみなさん、一人でこっそり来て、こっそり帰ってゆきたい方が多いようなのですが(なぜですか?)…いらっしゃれない方も、いつもいらっしゃってくださる方も、周りの人にお知らせやご紹介など、応援していただけますと、たいへんありがたく、助かります。

一般の方には、歌人の朗読のライブ??と思われてしまいますし、歌人や詩人のいわゆる朗読会やポエトリー・リーディングのライブとも、異なったものになっていることは、目撃していただけた方しか分からないと思うので、口コミが頼りなのです。どうぞよろしくお願いします。

フォルテピアニシモ vol.8 〜 Rebirth 〜


【 2012/05/05 20:36 】

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「フォルテピアニシモ vol.8 〜 Rebirth 〜」
最近は一年に一回になってしまった私のソロライブ「フォルテピアニシモ」の詳細を、今年もお知らせできる喜びを得ました。
ほとんど活動できていないにも関わらず、待っていただいていることをうれしく思います。
11月3日の文化の日が、毎年恒例になってきていて、私がライブをすることを決める以前に、この日を空けていると言ってくださる方々もあり、ほんとうにありがたく、うれしいです。

今回のゲストは、久しぶりにチェロの森重靖宗さんをお迎えしました。
森重さんとは、お名前を戻された震災後は初めての共演になりますので、今までと少し違った作品になりそうに思っています。

そして、会場は、いつもの吉祥寺STAR PINE'S CAFEです。
フライヤーの写真は、いつも私のライブを撮ってくださっていて、去年のライブでは美しいの写真の投影をしてくださった田中流さんの撮影のものになります。
今回のフライヤーは、去年のフォルテピアニシモのステージ写真です。これでも少しお分かりになるかと思いますが、STAR PINE'S CAFEではいつも、朗読やライブを越える素晴らしい照明や舞台づくりをしてくださっています。私が書いた台本を解釈し、前もって照明を私の90分のステージのためだけに、創ってくださっているのです。1回目から、愛のある、美しいライティングと、照明をお褒めいただくことが多いのですが、照明の小宮さんは、最近は舞監となって舞台全体も創っていただき、毎回、私がいちばん感激しています。

今までに私の朗読を何度かご覧になった方も、このSTAR PINE'S CAFEでの、「フォルテピアニシモ」は、かなり異なったものになっていますので、ぜひ一度ご覧になっていただきたいです。
私自身の朗読には満足したことはなく、もう少しなんとかならないかと努力はしていますが、元は物書きなので、未完のままでもよいのかとも思うのですが、舞台作品しては私がやりたかったことが、場と人の力が合わさって、ここに来てようやく初めてできてきたといいますか…
私が最も力を入れているということもありますが、会場スタッフとも一丸となって、今までにない舞台を創出していると自負しておりますので、ぜひいらしていただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。

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    フォルテピアニシモ vol.8 〜 Rebirth 〜

遅すぎることなどはない いつの日もあなた自身が約束だから 

  http://homepage2.nifty.com/paperpiano/Rebirthhtml.html


   伊津野 重美  朗読
                    森重 靖宗  cello


日時:2012年11月3日(土)12:30 開場/13:00 開演

場所:STAR PINE'S CAFE

料金:前売2,500円  当日3,000円 (別途ドリンク代)
チケット前売り発売 10月3日(水)より
前売りは店頭販売かweb予約
予約アドレス http://www.mandala.gr.jp/spc/ticket/yoyaku.html

STAR PINE'S CAFE http://www.mandala.gr.jp/

東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1  TEL:0422-23-2251
→ 吉祥寺駅より徒歩3分
吉祥寺駅・北口を出て、吉祥寺大通りを北に直進し、
ヨドバシカメラを越えた角を右折。
20mほど進むと左手にSTAR PINE'S CAFEが見えてきます。

*小学生以下のお子様のご来場はご遠慮くださいますようお願い申し上げます


 ◇ 伊津野 重美  Emi ITSUNO

1995年より作歌を、2000年より朗読の活動を始める。
2005年に第一歌集 『紙ピアノ』を風媒社より刊行。
2010年に写真集『ataraxia』(岡田敦・伊津野重美)を青幻舎より刊行。
詩誌『生命の回廊』発行・編集。
自らの企画で演出、出演をこなしながら、他の作家や他ジャンルとの
コラボレーション作品の制作にも積極的に取り組んでいる。
2007年より朗読ライブシリーズ「フォルテピアニシモ」を開始する。
空間と時間までも<詩>へと昇華させる朗読は、祈りのようでもある。
http://homepage2.nifty.com/paperpiano/


 ◇ 森重 靖宗  Yasumune MORISHIGE

チェロによる独特な即興演奏を行う。
国内外の音楽家、舞踏家、アーティスト等と数多く共演。
従来のチェロの奏法にとらわれない自由な演奏から生み出されるその音響は、
繊細でありながら自在にして豊饒である。
2009年にチェロとピアノのソロによる即興演奏で構成されたCD "fukashigi" を発表。
音楽活動以外にも、写真作品集"photographs" を powershovel books より出版。
http://www.mori-shige.com/


                         fortepianissimo vol.8

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【 2012/04/24 20:47 】

| reading |
桜花の頃
なかなか頑張ることが難しい日々が続いていて、今年は、いつになく待たれた桜だった。
冬は、ひたすら耐えて偲び、正月もめでたさも中位で、ほぼなんにもしない。
桜が咲くと、ようやくその年の冬を乗り越えた喜びを感じ、一年が無事に巡ったことを安堵し、感謝する。

年が明けると、蝋梅、水仙、梅、沈丁花…と、早春のまだ冷たい空気に咲く花は、香りが清冽なものが多い。沈丁花は少しずつ咲いてゆくのを、本格的な春の訪れを祈るように、思いを春につなげる。

ところが、そういえば梅と沈丁花の咲いたのを知らなかったと思っていたが、3月も終わりになって咲き出した。いつも2月に咲き始める沈丁花はまだ咲いている。4月に咲いているのを見たことがない。

免疫力の弱い私はインフルエンザが怖いので、冬には、なるべく病院も行かない。
4月の声を聞き、秋から問題があった両手首をやっと診てもらうと、関節炎と腱鞘炎を起こし、長年痛めていた背中や首は、筋肉の損傷を起こしていた。
毎日新しい怪我をし続けている状態という。
・・・それは、頑張ることができないはずである。

あちこち痛むので、痛みには我慢強くなっているのだが、治療のため、逆に痛みが強くなり、さすがに凹んで眠っていた休日に電話をいただく。
私が、いつも心の拠り所で励みに思っている人からで、送ったものが届いたと、わざわざご丁寧に遠くから連絡をくださったのだ。立派な人は立派だなーと、改めて感心する。
久しぶりに少しお話ができて感激し、やっとやる気が出た。

私などでも、待っていてくれる人達がいる。
またライブをしよう。
【 2012/04/11 19:05 】

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inori
一年が経ちました。
早春の三月を悲しみで迎える方々が多いことに胸がつまります。

川上未映子さんは、家で原稿を書いていることが多いので、自分のためにジェルマニキュアをするのが楽しみだったのを、あの日からしなくなったと、新聞エッセイで書いていました。
私は、一時はお香貧乏になったほど、お香が好きなのですが、この一年は文香ぐらいで自分のためにはお香を買うことができませんでした。
たったそれぐらいと思われるかもしれませんが、直接の被害を受けなかった者の心にも大きな傷になり、自粛とか喪に服するとか、そういうことではなく、習慣を変えてしまうほど、また自分の喜びを喜ぶことができないほどの悲しい一年でした。
犠牲になられた方々のことを決して忘れない心をもちながらも、自分などの外部の者から、そろそろ心を立て直してゆかなければと思います。

召された方々のご冥福と、大切な人を亡くされた方々、被害に遭われた方々のお悲しみやお苦しみが少しでも癒えることを、そして、人間がよりよい未来を開いてゆくことができることを心から願っています。

お香は去年の時点でなくなってしまっているので、朝からキャンドルを何本も灯して祈っています。


   ☆ 新居昭乃さん 「inori
【 2012/03/11 07:57 】

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松井冬子展 世界中の子と友達になれる
「松井冬子展 世界中の子と友達になれる」

すれ違う者が、体をよけて通らなければならないような小さな画廊で観ていた松井冬子の美術館での展示に感慨深い。
狭い場所では狭いなりに、岩絵の具のきらめきを息がかかるほど近くに観ること法悦があるものの、連作が並んでいるところや大作を俯瞰できることができ、うれしい。
前に下絵の段階で凄いと思っていた「陰刻された四肢の祭壇」の完成を観ることができ、「浄相の持続」の連作まで完成していて、歳月を苦しみ築き上げて来た人の努力を思った。

それにしても、なんという痛みだろう。
私の表現の核になっているものも、痛みや苦しみであるだろうが、松井の場合は、その痛みが、すべて女性であることから受ける暴力の心身の傷痕から来ていることが分かる。
類稀な美貌と才能をもってしまったゆえの、大きな悲劇を思い苦しくなった。
自身でも、DVにより片耳が聞こえないこと、首の骨を損傷していたことを明らかにしているそうだ。

いつもは観ないのだが、昨年は大きな震災があった年なので、どのような表現がされるのかと、後で紅白を録画でざっと観たのだが、審査委員の一人として出ていた松井の、人相が変わるほどの晴れやかな笑顔に驚いた。翳が払拭されて明るくなっていたので、結婚したのではないかと思ったが、やはりそうであった。再婚であるそうだが、やっと落ち着くことができたのだろう。よかった。

今回の展示では、画に松井自身の言葉が添えられていたのが、私には不要に思えたがどうだろうか。
言葉による説明なしに説得力があり、画と象徴的な題だけで充分すぎると思えた。
インタビューなどで話すことはよいと思うのだが、画の隣に言葉があることで作品を限定し狭めてしまっている気がする。言葉を使う人間として、言葉を使う危うさをいつも思ってしまう。

幽霊や自分の深部を暴き、内臓まで露わな画が多いので、苦手な人は多いかもしれない。
だが、ただ痛く苦しいだけでなく、負けていない高らかな矜持があるところも素晴らしく、凄惨で美しい。

個人的な痛みや悲しみを突き詰めていくと、また誰かの痛みや悲しみにつながり、それによって互いに慰められ、生きてゆく力になることもあると、私は思う。
【 2012/03/01 00:22 】

| art |
霧の国で
この冬は珍しく寝込まなかったものの、なかなか頑張ることができない日々が続いている。

2月14日は笹井さんの記念日で、去年は笹井さんが会いに来てくれたように東京にも雪が積もるほどたくさん降って、みなで喜んだ。ただこの日は、私が長引く風邪でどろどろになっていて、普通は欠席するところなのだが、私が行かないと、お忙しい方々がまた日を調整していただくことになりはしないかと心配で、激しくどろどろのまま参加して思うように話すこともできなかった。それなので、今年を楽しみにしていたのだが、祖母の危篤を受けて、その頃は南にいた。
私の不参加により今年の会自体が流れたと後で聞き、せっかくの記念日に申し訳なく、残念に思った。

悪寒などのためにうまく動くことができず、やっと発つことができた日には、また霧のために羽田に戻る可能性もあるという条件付のフライトだったが、時間がかかったものの無事に空港に着き、告別式にやっと間に合った。

聞けば、霧で到着できないことも少なくないという。
両親が飛行機が苦手で、一緒に新幹線や夜行で帰ることが多く、私は、そんなことさえも知らなかった。
高台にある斎場から帰る道で、雲海のように霧が広がるのが見えた。
あそこは海かと訊ねると、違うという。
そんなに霧が深いところだったという記憶はなかったが、この頃にはこの地に立つことがなかったせいかもしれない。東京では冬晴れの日が多く、傘さえ忘れて行った。
そういえば、近くには霧島という地名があったことも思い出した。

如何に歳を取ろうとも、人の死は辛いものだと思っていたが、80歳ではまだそうでもないかもしれないが、百歳になると、どこか「お疲れ様でした」「よく頑張りました」という気持ちになる。それは祖父母共に眠るように逝ったためであるかもしれない。亡骸も、天寿を全うした人の達成感のようなものがあって不思議と明るいのだ。

三年前の祖父の納骨の時に、小さい骨壷があるのが見えた。
当たり前のことであろうが、子供用の骨壷というものがあることをその時に初めて知った。
父の弟にあたる赤ちゃんを生後半年でなくしたと聞いていた。
それは、若い母親であった祖母にとって、どのような苦しみであっただろうか。
百年を経て、やっと母親は、その子のそばに行くことができたのである。

祖父母が長い年月を守ってきた仏壇の引き出しを開けると、普通のお経のほかに、子供を供養するためのお経もあり、長く生きた人の、長く続いた悲しみを改めて思った。

新幹線で帰る両親を駅に見届けると、帰りには時間があったので、笹井さんのお参りをしたいと思ったが、忌中の身なので、ひとり空港で空と山にかかる霧を見ていた。
考えてみると、私が初めて骨壷に触れたのは、親族のものではなく笹井さんのものだった。その死より、死が恐ろしいものではなくなっていた。
私が危篤状態になった時には、迎えに来る人がいなかったためにこちらに戻って来たことなどを思い出した。

なぜか持って来ていた本『石田波郷句集』を一度も開かなかった。
【 2012/02/27 23:47 】

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「ヒミズ」
ヒミズ

ヒミズとは日不見、モグラ科の動物のことだそうだ。
ヒミズのように目立たず、ただ人並みに暮らしたいという少年の願いは、普通の両親をもたなかったことによって、無惨に破壊される。
家庭内暴力から発する不幸は、少年と少女を八方ふさがりの場所に追い込んでゆく。

園子音監督は気になってはいたが、暴力表現が私には無理そうで、『愛のむきだし』しか観ることができていなかった。
今回は若い世代が主役ということで、観に行こうと思った。
なるほど評判に違わず、染谷将太と二階堂ふみが素晴らしかった。

実際の事件から題材を得た「誰も知らない」が、主演の柳楽優弥の演技が素晴らしかっただけでなく、映画自体がよかったと思わせるものに対し、この「ヒミズ」は、主役の若い二人の演技がよかった、という印象が強い。
映画としては、わずかに何か足りないと思わせるのは、リアリティの問題かもしれない。
多くの時間を犯罪を探して彷徨っていたとしても、そんなに無差別殺人的にナイフを振り回す人間に遭遇するとは思えない。何かそういうところが、虚と雑な感じを受けてしまい、勿体無い気がした。

また、東日本大震災を受け、脚本を急遽書き換え、舞台を震災後の被災地に変えたという。
あの壮絶な破壊の後に、役者を立たせ、あれらの画を撮りたかったのだと思うが、何か成功していないように感じた。
現代の日本における暴力や不幸は、もっと日常や普通の人の心に潜んでいるような気がする。
そう。ちょうどあの「誰も知らない」のように…
ほんとうは、それが恐ろしいのだ。
震災の圧倒的に悲惨な風景や状況を盛り込むことで、焦点が拡散してしまったように感じる。

だが、震災後の今の日本に監督がメッセージを渡したかったのも、理解できる。
おそらく原作が素晴らしいのだろうと思うが、主役の二人が、原作や監督の想いに、ものすごい熱さで応えている。
染谷将太は、「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」から特殊な力を発揮していたが、それも、「アントキノイノチ」も、この「ヒミズ」も、暴力を受ける役で、それだけ巧いのだろうが、目をいつもとろんとさせて病的な顔ばかり見ていて切なかった。しかし、ベネチア映画祭で日本人初の新人賞ダブル受賞をした時に、普通の青年としての姿と笑顔を見て、安心する。

原作は未読であるが、原作とは映画ではラストとは変えてあるそうだ。
このラストに、監督の伝えたかった真の想いがあるのだろう。
二階堂ふみの演技の熱量が、特にこの映画の要であり、全体を牽引している。
「誰かに懸命に背中を押してもらった人間は、その後もどこまでも歩いていける」というようなことを、穂村さんが前に言っていたのを思い出していた。
私も誰かの、そのような力になりたく、「生きてゆけ」と言いたくてライブを続けている。

これは、現代日本の『罪と罰』であるだろう。
人は生きているかぎり、生き直すことができるのだ。
そして、人は人の力になることができる。

絶望の淵にある人にこそ、観てほしい。
【 2012/02/10 00:15 】

| movie |
「ベン・シャーン」展 〜わずか十行の詩のために〜
ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト」展

会期終了間際に間に合った。
海岸線をバスに乗って行く海に面した美術館は、私の好きな場所のひとつだ。

ベン・シャーンのこの展示には、ラッキードラゴンシリーズを観ておかなければと思ってやってきたのだが、他の展示もとてもよかった。
1954年にビキニ環礁で行われた米国の水爆実験において被爆させられたのが、ラッキードラゴン(第五福竜丸)という、「幸福」を意味する名前をもっていることが、今の「福島」の状況と重なって皮肉である。しかも、これをいま福島県立美術館が所有していることも…

第五福竜丸だけでなく、冤罪やら社会的事件を扱った、弱者に向ける目が温かい。
人として、芸術家として、不正に憤り、自分の表現で、それを広め、残し、社会をよい方向に変えようと努力し続けている。

ベン・シャーンは、自身の写真については主に絵画のソースとしていたようであるが、写真の展示も面白かった。特に写真を元に絵画にしているところが、何を描き、何を削ぎ、何を凝縮してゆくのか、絵画の作成の過程が、少し垣間見えるようで興味深い。ここでも、主に貧しい労働者や、当時は差別のひどかってであろう黒人へ向ける眼差しが温かい。

だが、私が最も打たれたのは、それらが今回来ていることも意識していなかった、可憐なリトグラフ群だった。
その部屋に入るなり、頭で素晴らしいと感じる以前に、ふわりと涙が出た。
それは、不意打ちめいて、驚いた。

『版画集:リルケ「マルテの手記」より:一行の詩のためには…』の一連は、あまりにも素朴で、パソコンの画面や写真で見ても、その素晴らしさが今ひとつ伝わっていなかった。
この簡単な線、多く削ぎ落とした先に、〈詩〉があった。

カタログで知ることになるのだが、ベン・シャーンは、リルケが28歳を迎えた年に7年がかりで書いた『マルテの手記』に、同じく20代の終わりに出会い、感動し、70歳にして、この美しい詩画集を完成させたのだという。

それは、美しいはずだった。
そして、その翌年に息を引き取ったのだという。

ベン・シャーンをして、そこに辿り着くまでに、それだけの歳月を必要としたことに、改めて感動した。顧みて、自身の粗雑な表現と態度を恥じた。
言葉を沈殿し、エッセンスにまで凝縮しなければ。
そして、そこに辿り着くためにも、続けることなのだ。

若い頃には主に、社会の不正に目を向けていたベン・シャーンは、最晩年において、ようやく最も自身が描きたかったものを描くことに到達する。
それは、経なければならない過程であり、そこを経たからこそ、このように美しいものが生み出されたのであろう。
神の祝福を感じる。
そして、ベン・シャーンの表現には常に、変わらぬ人間への愛が貫かれているように感じた。

神奈川では終わったが、これから、名古屋、岡山、福島を巡る。
今この時に観ておきたい展示だ。



 人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。詩は人の考えるように感情ではない。…詩は、本当は経験なのだ。

   (リルケ『マルテの手記』)
【 2012/02/06 19:21 】

| art |
「生命の回廊 vol.3 『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』特集号」感謝
昨年中に書き上げたかった「生命の回廊 vol.3 『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』特集号」のご執筆者紹介を、休み休みしながら、なんとか最後まで書くことができました。
ご自分のところで、何か不快なところがありましたら、我慢せずにお教えください。

「生命の回廊」は小誌ではありますが、よく特別な雑誌になっていると言っていただくことがあり、親バカですが私もそう思っています。
これは、ひとえにご執筆者の力によるものです。
このご紹介の一連をお読みいただけますと、ご執筆者と私の結びつきや、私が如何にみなさんを信頼し、愛しているかお分かりになっていただけると思います。ただし、一方的な愛もあります。。
実際に親しい友人であっても、仲良しこよしの仲間内の狎れ合ったものではなく、人として表現者として、敬愛する方々ばかりです。
そして、ご執筆者も、ただ出した、というのではなく、この「生命の回廊」をめがけ、ここならではの、作品や文章を寄せていただいたように感じています。

3年間、笹井さんと、その喪失に、私なりに必死に向かい合ってきました。
そのやり方が、乱暴に感じた方もいらっしゃると思います。それは、たいへん申し訳なく思いますが、私はこのようなやり方しかできませんでした。
また、私なりの精一杯は尽くしたつもりですが、体力や気力が続かず、頭や心が及ばずに、ご執筆者のみなさまには、たくさんご心配やご迷惑をおかけしました。
本来でしたら、人様の作品をお預かりできる状態ではないのですが、みなさまのご協力により、目標としていた3号まで、なんとか無事に完走でき、たいへんうれしく、また安堵しました。
この苦しい時期に、言葉を交わし、ご一緒に仕事をさせていただき、みなさまと出会い直すことができましたことも、私の喜びで、支えにもなりました。
ほんとうにありがとうございました。
また、お辛いなか、快く全てを許してご協力くださった、笹井さんのご家族のみなさまにも、御礼を申し上げます。
この「生命の回廊」に今まで関わってくださったすべてのみなさまに、心より感謝いたします。
そして、笹井宏之さん、たくさんの宝物を私たちにありがとうございます。


生命3書影小



現在、笹井さんのサイト〈些細〉は、お父様で碗琴奏者でもあられます筒井孝司様の手によって、運営をされています。笹井さんについての情報は、こちらでご覧ください。
何か笹井さんについての、どこどこに載ったよ、などというような新しい情報は、こちらでお伝えすると喜ばれると思います。

本日の佐賀新聞において笹井宏之さんの特集が、大きく組まれているそうです。
2部の1べージ一面と見開きの真ん中両面にかけて、短歌も写真もたくさん入っているそうです。
この連載は、毎週10回続くそうです。入手できます方は、ぜひご覧ください。

今日は、笹井宏之さんのご命日です。
ここでまた、笹井さんの短歌がやさしく降っています。

* #sasai0124

笹井さんの言葉が、どうかたくさんの人に読まれますように。
どこまでもどこまでも届きますように…。
そして、悲しい時うれしい時に、私たちのそばに詩歌や人のぬくもりがありますように。



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笹井宏之 Hiroyuki SASAI  1982/8/1 - 2009/1/24

未来短歌会所属  第4回歌葉新人賞受賞 
歌集『ひとさらい』『てんとろり』(書肆侃侃房)
『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』(parco出版)
http://sasai.blog27.fc2.com/
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【 2012/01/24 09:37 】

| 詩歌 |
「生命の回廊 vol.3」ご執筆者紹介 斉藤 倫さん
斉藤倫さんには、ただお一人だけ、創刊号から3号まで、すべてご参加いただきました。

笹井さんの詩性に最も近い人…と思ってはいましたが、卓越した作者は、いつもこちらの予想を遥かに越えてきます。
創刊号では追悼の詩と笹井さんへの言葉、2号では、なんと初の短歌の連作を出され、驚きました。そのほかにも、詩手帖にも笹井さんの作品について書かれ、『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』では編集委員となり、笹井さんのために、なんだか獅子奮迅に立ち働き、闘い続けてくださったように感じていました。
お忙しいなかをこれ以上のお願いしてもよいものか迷いましたが、この号では、詩をいただき、「笹井宏之Twitter歌集『#sasai0124』」をまとめてくださいました。
ご無理をかけてしまいましたが、笹井さんがどんなに喜んでいるかと思うと、続いてのご参加が私もとてもとてもうれしいです。

この「生命の回廊」では、みなさん謙虚で清廉のあまり、大変シャイな方が多く、自分が何かよい行いをしたとしても、むしろそのことを触れられたくない方々ばかりなので、迷いながら書いてきました。
倫さんは特にそのような傾向があるように思われますが、みなさまのしてくださったことを、ほんの少しだけ書かせていただきました。
どうかお許しいただければと願っています。

笹井宏之さんは、3年前の今日、1月24日の朝、大雪のなかを旅立ってゆかれました。
そうして迎えた一周忌の前に、倫さんからtwitter上でハッシュタグを組み、笹井さんの歌をご命日前後に流さないかというお話がありました。アナログでよく分からなかった私は、それを機にtwitterに入ったのです。

一昨年の一周忌には、ご家族により有田で開かれた笹井さんの「追悼コンサート」の会場で、隣に座っておられた倫さんの携帯から、この『#sasai0124』を見せていただきました。その画面には、見ている間にも、どんどん笹井さんの歌が、雪のように降ってくるのです。
それは、とても美しい光景でした。
笹井さんが、こんなにもたくさんの人に愛され、悼まれている。。
しかも、倫さんは有田での滞在時間が、コンサートを含め、数時間しかない…というわずか時間を縫って、笹井さんのもとに駆けつけてくださったのです。私が、その状況だったら、まず諦めます。充分知っていたつもりでしたが、なんて心のある方なんだろうと、改めて感じ入りました。

その時のTwitterに溢れたみなさんの思い、笹井さんの短歌を、今号ではまとめてみては、という案をせっかくいただいたものを、うまくまとめることができずに諦めていたのですが、倫さんがご自分でまとめてくださいました。私の力や考えが足りずに、お手間をおかけし、申し訳ありませんでした。ありがとうございました。

紙面の都合で、小さい文字でしか載せることができなく、どうかと心配に思っていましたが、この笹井さんのTwitter歌集がよかったと言ってくださる方もいて、ほっとしました。ヤリタミサコさんからも、「聖書みたい」と言っていただき、感激です。

歌人も詩人も、そして、一般の方々まで、こんなに多くの人が、一人の若い歌人のことを偲び、その短歌を一挙に書いているということは、今までなかったことに思われます。
笹井さんは、改めて凄い人だなと感じました。
この、仕事に向かうバスや電車のなかでも、寝ている病院のベッドのなかでも、携帯電話からでも誰でもいつでもどこからでも参加でき、読むことのできるTwitter歌集は、起きてパソコンに向かうことも辛い日々も多かった笹井さんには、とても似合ったツールであるように思われます。
けれども、それは世界に広がってもゆくことができるのです。

そして、この流れの源をつくり、それをみなさんにこのような形で示し、残してくださった、斉藤倫さんのお力も何より大きいです。
このTwitter歌集によってTwitter上で、笹井さんのことを初めて知ったという方も少なくないことも、ありがたくうれしいです。

この「生命の回廊」を通して、『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』(parco出版)に、思いがけずに編集委員として選んでいただき、笹井さんのために力を合わせて、ご一緒に仕事ができたことも、私には大きな悲しみのなかにも、かけがえのない幸福なことでありました。

仕事も責めも一人で負うつもりでありましたが、弱く、惑いがちな私をいつも勇気付け、進むべき方向を指し示しながら、3年間をずっと伴走していただいたことを深く感謝しています。



 先割れスプーンよ
 もっともっと割れろ
 花のように
 滝のように
 それがお前の笑い方なのだ
 じぶんでも知らない
 たつまきのような気持ち
 いつだってかくしてきた
 その思い
 泣いている子より けっして
 泣かなかった子のほうが泣いているって
 きみは知っているから

  (斉藤 倫「先割れスプーンに」より 『生命の回廊 vol.3』)

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斉藤 倫 Rin SAITO

詩集『手をふる 手をふる』(あざみ書房)
『オルペウス オルペウス』『さよなら、柩』(思潮社)
『本当は記号になってしまいたい』(私家版)
絵本『いぬはなく』(絵*名久井直子/ヒヨコ舎)
http://teofulteoful.seesaa.net/
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【 2012/01/24 00:01 】

| 詩歌 |
「生命の回廊 vol.3」ご執筆者紹介 岸田将幸さん
岸田将幸さんは、前号に引き続き、今号も詩論を展開してくださいました。

読み取りが難しいほどではなかったのですが、最初のページの引用部分に一文字、字の重なりがあり、お見苦しかったことを、ここでお詫びいたします。
読者のみなさま、そして、岸田将幸さん、大変申し訳ありませんでした。

岸田さんには、まだお名前がキキダダマママキキさんであった時に、私の企画イベント「+crossing」に、今号の斉藤斎藤さんと共に、ご出演いただきました。
その頃とは違って、ずいぶん落ち着いた朗読になりましたが、初期のほうから作品だけでなく、お二人の朗読も、たいへん好きでした。

岸田さんは、2010年にご自分で装丁までされた『〈孤絶―角〉』で第40回の高見順賞を最年少で受賞された時のスピーチが、私が今まで生で聴いたもののなかで最も素晴らしいスピーチで、胸打たれ涙が出ました。
(生でないものを入れると、キング牧師のスピーチが、やはり何度聴いても涙が出ます。)
同様に岸田さんからは訂正稿が届く度、原稿を読む度に涙が出ました。
作品に向かう姿勢が、静かでたいへん真面目でありながらも、文字通り心血で書いているかのようでありました。
前回も今回も大変な大作でありながら、最も早くお原稿を入れていただきました。
それぞれにご事情があり、どうしても原稿を落とされる方もいらっしゃいますので、年刊ゆえに長期間の不安を抱える編集人としては、2号、3号と岸田さんに早々と大きな帆柱をいただき、次号の安らかなる出航が強く約束されたようで、たいへんにありがたかったです。

お若いながら既に老成した大詩人の面持ちがありますが、非常に丁寧で誠実なお心遣いをなさる方で、いつも感激しています。
今後の自分が表現者として、その前に人間として、どのように生き、何を書いてゆけばいいのかと思う時に、やはり私が指針とするお一人です。
向かい合うと不思議と、笹井さんを最も思い出す人でもあります。
作品もお人柄も全く異なるのですが、その魂の純度や大きさのようなものが、笹井さんに近いのかもしれません。



 何を伝えるかということは、人の思想すなわちそれぞれの心的な土地を曝すことに他ならない。抒情とはそういうことだ。しかし、土地を曝す、という過程ではなく、土地そのものが言葉を発する、というふうな、瞬間の負荷によるところの発語を考えなければならない。体においては背骨としての線があり、突き出た歯としての貧しさがあり、腫れた内臓の重さがあり重ね合わされ、「吠える」に充分となる。人を人へと奪い返す時、そういった体とともにわれわれは在る。発語の後、言葉を背負うよりも言葉を背負えぬという厳しい重さの果てへ歩いて行く人の姿に、われわれは概念としても現実としても人を見なければならない。人によって判断と言葉が一致したところに発せられた声の吹き消える光景は、そのような自らの判断へ対面するところの、「神的」呆然である。

   (岸田将幸「人と詩論の原初的全開」より 『生命の回廊 vol.3』)

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岸田将幸 Masayuki KISHIDA

詩集『生まれないために』(七月堂)『死期盲』(思潮社)
『丘の陰に取り残された馬の群れ』(ふらんす堂)
『〈孤絶‐角〉』(思潮社) 
刊行予定『現代詩文庫・岸田将幸詩集』(思潮社)
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【 2012/01/23 17:06 】

| 詩歌 |
「生命の回廊 vol.3」ご執筆者紹介 樋口由紀子さん
樋口由紀子さんは川柳作家であり、前号も今号にも川柳の連作とエッセイをいただきました。
樋口由紀子さんも、大先輩であり、またご自分で雑誌を発行、編集されていますので、やはり声をかけさせていただくことに緊張しました。
単に自分の雑誌だったら、とても無理だったと思いますが、この「生命の回廊」は、笹井さんのためにも質のよいものにしたく、勇気を振り絞ってみなさまに声をかけさせていただきました。
川柳の世界では選者もなさっている樋口さんにお願いをするのは、失礼ではないかとも思ったのですが、快く引き受けていただき、光栄でありました。

私が、現代川柳の面白さ凄さを初めて知ったのは、創刊号にご参加の、なかはられいこさんと、この樋口由紀子さんの作品を読んだことによります。
樋口さんの作品が入ると、端正な魔とでもいうのでしょうか…ぴたっと無音になるような凛とした緊張感があり、雑誌全体を引き締めていただきました。
居合い抜きのような美しさがあるのは、短詩系ならではの醍醐味のように感じています。
樋口由紀子さんは、著書もたくさん出されていますので、ぜひ川柳も、もっと多くの方に読んでいただきたいです。



  どうしても桜の下に来てほしい

  どうってことあれへんかった花の中

    (樋口由紀子「は な」より  『生命の回廊 vol.3』)


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樋口由紀子 Yukiko HIGUCHI 
  
「MANO」編集発行人 「バックストローク」「豈」同人 
句集『ゆうるりと』(私家版)『容顔』(詩遊社)
セレクション柳人13『樋口由紀子集』『セレクション柳論』(邑書林) 
エッセイ集『川柳×薔薇』(ふらんす堂)
共著『現代川柳の精鋭たち』(北宋社)
http://ww3.tiki.ne.jp/~akuru/
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【 2012/01/23 09:34 】

| 詩歌 |
「生命の回廊 vol.3」ご執筆者紹介 ひろたえみさん
ひろたえみさんは、2号には詩のような短歌と小説をいただき、今回は短歌の連作をいただきました。
2号の表紙に格好いい題字をいただきましたが、ひろたさんも、書家であり、舞台人でもあり、詩、短歌、小説、ダンス、演劇、ヴォイス…、マルチな活動をされていて、その全ての表現活動が、詩のような人です。

ひろたさんには、初期から私の朗読でも、ある時は共演者であり、ある時は、スタッフや舞台監督として、いつも支えていただいています。いま私の朗読活動があるのは、舞台人でもある、彼女の力がほんとうに大きいです。
考えてみると、私は朗読を始めてから今年で十年になりますが、その最初から、ひろたさんがいてくれました。
私は、この十年で、最も会うことが多かった友人です。
いつも寂れた黄金町で「えみえみ会談」あるいは、作戦会議をしています。
とても面白いワイルドな人で、非常に詩的でありながら、詩歌の人にはいないタイプかもしれません。たくさん面白いエピソードがあるのですが、それはまたいつか…

一部には、私達は「えみえみ」と呼ばれるへんてこコンビで、「あらすじ ひろたえみ<書>展 地下同行室の三日間」や、 金沢蓄音器館 で《再来夏去》vol.2 「声はわたる 声は満たす 〜真夏ふたりの朗読会〜」に呼んでいただきました。
私の歌集刊行イベント「紙ピアノの鳴る夕べ ー pieces of voices ー」にご出演いただいたこともあります。
また、「第六回地下サロン実験公演〜開放アスベスト館 未知なる後継者達へ〜」で初めて共演したのですが、アスベスト館が閉館間近という思い入れも強かったようで、あのアスベスト館の人達をも引かせる、そ、それ舞踏!?自傷ではなくて?というような、凄まじいパフォーマンスでした。
私は朗読の後に、倒されて簀巻きにされて、ステージを引き回されて、そのまま舞台の外に引きずり出されました。またとないことで、楽しかったです。
その時に観てくださった方が、こちらでその時のイメージの絵と感想を書いてくださっています。だいぶん前のことですが、もしよろしかったらご覧ください。

「そこにいたよ」

温かで誠実な人柄、自分よりも人のことばかりしている人。
どんなにその存在に、助けられ、強められてきたことか…
その全てが大らかな詩なのですが、欲がなく、あまり他の場所で文学作品を見ることができません。
無理やり作品を出させた感が否めませんが、ここで作品を出していただくことができ、みなさんにご紹介できたことが、うれしかったです。
彼女を見ていると、まずは人としての、詩の態度のようなものを考えさせられます。
今は、ホスピスで働いているようです。
神経を使うお仕事で大変でしょうが、どうか自分の時間も大切にして、作品も発表し続けてくださいね。



  冬の肺そうどういんして木枯らしをくちうつしする荒地のむすめ

  しろいしろい戯れ屋ども舞い降りてたちまち消える曲芸みせる

    (ひろたえみ「陽 動」より  『生命の回廊 vol.3』)


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ひろたえみ Emi HIROTA 
 
書家、アーティスト 
「<書>展〜あらすじ 地下同行室の三日間〜」
http://www.enpitu.ne.jp/usr7/71107/ 
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/psfin/
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【 2012/01/22 18:54 】

| 詩歌 |
「生命の回廊 vol.3」ご執筆者紹介 三角みづ紀さん
三角みづ紀さんは、2号では詩を、今回は掌編小説をいただきました。
第一詩集『オウバアキル』で、その才能に打ち抜かれました。
朗読を初めに聴いた時の破壊力も物凄かったです。
今は、もう少し穏やかな表現になってきているようですが、詩だけでなく、小説、映像、朗読、作曲にヴォーカル…と、マルチな才能を発揮されています。

仕事の質と量と速さにも、いつも舌を巻いています。
体の具合も悪そうですが、人の何分の一も動くことのできない私の何十倍を越える仕事量です。
そして、そんなに仕事をしながら、また体調が悪くても、人への気遣いも厚く、私にもいつも出先でお土産までいただき、感激しています。
ライブやレコーディングの時には、自分がいちばん大変なはずなのに、バンドのメンバーにも、おにぎりやお菓子を作ったり、凄い人で感服しています。少し見習いたいです。

三角さんには、一昨年は「ことたりない/三幕」に呼んでいただき、昨年は「地下鉄の詩、ポーランドからの詩」で競演をさせていただきました。
ステージも独特なもので、詩人歌人が朗読をした、という次元を越えていて、アーティストのライブになっていますので、まだご覧になっていない方は、ぜひ一度足を運ばれてみてください。CDも発売されています。
その仕事に対するガッツある姿勢と人に対する謙虚で丁寧な生き方が大好きです。



 窓の外はよく晴れていて、くだらないほど真っ青でよい日和なのだとおもう。わたしたちは無言になって食事を続けた。わたしたちがこうやって食事をすることはおそらく何かしらの罪になる。考えれば考えるだけ途方もない罪。そして、食後の一服をすると死に向かった。わたしと彼のライターはもうすぐ買いかえ時で、次はきれいな色のものがいい。鮮やかな、ぴかぴかしたもの。

 (三角みづ紀「途方にくれない」より 『生命の回廊 vol.3』)

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三角みづ紀 Mizuki MISUMI 
 
第42回現代詩手帖賞、第10回中原中也賞、
第18回歴程新鋭賞、2006年度南日本文学賞受賞
詩集『オウバアキル』『カナシヤル』『錯覚しなければ』『はこいり』(思潮社) 
小説『骨、家へかえる』(講談社) 
CD『悪いことしたでしょうか』『幻滅した』(Pelmage Records)
http://misumimizuki.com
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【 2012/01/22 11:00 】

| 詩歌 |
「生命の回廊 vol.3」ご執筆者紹介 浦 歌無子さん
2号に引き続いてのご参加の浦歌無子さんは、井口和泉さんの友人でもあり、二人で詩とお菓子のコラボレーションのイベントなどを開催されていました。
浦さんの詩の朗読に合ったスイーツを井口さんがつくって、その場でみなで食べるらしいです。
うらやましい。行ってみたい。。

浦さんは、2010年に私の主催する「雨の匂い 虹の匂い vol.2」にもご出演いただきました。昨年末に拠点を東京に移されたばかりですので、これからは東京でも、その質の高い朗読を聴くことができることでしょう。
私家版の詩集も美しく、その全てにおいての美意識の高さや細やかな神経に驚かされます。

浦さんも、苦しい時にその存在自体が、私の拠り所になっている友人の一人です。
笹井さんをなくしてとても悲しんでいる時に、多くの方から励ましの言葉をいただきました。どれもほんとうにありがたくうれしいものでしたが、浦さんが贈ってくれた酒井駒子さんの『BとIとRとD』が、とても心に残っています。
穂村さんも、この本を宝物とされているそうですが、その美本っぷりに驚いたのですが、装丁は、これも友人で、後に『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』でご一緒することになる名久井直子さんでした。

猫派、犬派があるようですが、私達は数少ない鳥派で、しかも、文鳥党であり、私の部屋のなかには、浦さんからいただいた鳥グッズがたくさんあります。

今号の67ページの写真は、これも名久井さんの装丁で、『えーえんとくちから』の名編集者である藤本さんと豪腕編集者の杉田さんによるチームの、パルコ出版からの『天使のダイアリー』という、これも美しく、愛のつまった本と、浦さんから贈られた小鳥のガラスのオブジェを写したものです。
携帯写真でごめんなさい。
この本は、新年の今、そして、バレンタインデーの贈物にも素敵だと思います。


笹井さんの一周忌で九州に行った時に、浦さん井口さんと三人で会い、井口さんの素晴らしい料理をご馳走になったのですが、その時に、浦さんからは故郷の浜で拾った小さな貝殻とシーグラスをいただきました。
その貝が、やはり海に親しんで育ってきた私にも、見たことがない可愛い形で淡くて儚げな桃色をしていて、海に洗われた涼しげで優しいシーグラスの水色と、とてもよく合うのです。
浦さんの詩には、よく魚っぽい女性が登場するのですが、その贈物をいただいて、その謎が解けた気がしました。
生まれ育った地というものは、深く、私達の心身に根ざしているような気がします。

やっと行くことができた一周忌の後、長崎の殉教の跡地や被爆地を訪れました。
その場所に行って、ようやく自分が、なぜその時にその場所を訪れたかったのか分かった気持ちがしました。無意識に死というもの、その意味を、ずっと考えていたからでしょう。
少し気持ちが忙しい旅になりましたが、そのシーグラスと和泉さんがもたせてくれたピンク色の酵素と共に、旅の間をずっと支えてくれました。
二人とも、その先の私の旅に邪魔にならないように気遣いながら、贈物を選んでくれたのです。
友人達のお陰で、悲しくも、温かな気持ちでいっぱいでした。

その旅の間を枕元に置いて眠った歌無子さんのシーグラスと薄桃色の貝殻は、小さなカクテルグラスに入れて、机の横に飾っています。



コツ
天井が鳴るのは
電気を消してから
決まってこれくらい時間が経ったとき
23:32
階下の家から男の声がよせてはかえす波のように
高くなったり低くなったりしながら聞こえてくる
さっきまでネムリのイドをすべりおちていたのに
今はその井戸をぼんやり覗き込んで黒い小石を落としている
細く長い水の音をえんえんと響かせながら
階上ではなにをしきりに洗っているのか
かけぶとんの上に黒い小石が次から次に墜ちてくる

  (浦 歌無子「うすももいろの」より 『生命の回廊 vol.3』)

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浦 歌無子 Kanako URA 
 
詩集『耳のなかの湖』(ふらんす堂)
詩誌『水字貝』(つきしろ書房)
作品集『雲の指』『月の砂』『薄荷糖』他(つきしろ書房)
http://tsukishiro.net/
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【 2012/01/19 17:13 】

| 詩歌 |
図書新聞にて添田馨氏より岸田将幸さんの詩論『生命の回廊vol.3』より
1月1日の図書新聞において添田馨氏により『言語野における復興――言説における“震災後の風景”そのものである「人と詩論の原初的展望」(岸田将幸)』と題して、『生命の回廊vol.3』に岸田将幸さんのご論考のご高評をいただきました。
ありがとうございました。非常にうれしいです。

岸田さんのご論考は、いただく度に思わず感涙するほどの気迫に満ちた心血の注がれたものでした。
詩人が言葉を発するとは、このような厳しいものであり、また推敲というものも、こういうふうにするものかと、教えていただくようでありました。
ここに真の〈詩人〉の姿を見ることができました。
心から感謝しています。



評者◆添田馨
言語野における復興――
言説における“震災後の風景”そのものである「人と詩論の原初的展望」(岸田将幸)

No.3044 ・ 2012年01月01日


 震災は、私たちの日常のただ中に、異様で破壊的な非日常が暴力的に侵入してきた突然の体験だった。3・11の津波の映像は、その意味で極めて象徴的だった。住宅や車を呑みこんで、大地のうえをのたうちながら這い進む大量の黒い水の映像は、震災が私たちの心的な領域を侵食していく有様の不気味な暗喩そのものをも構成していたと言ってよい。
 震災は、私たちの言葉の地層にも破壊的な衝撃をもたらした。震災後の言葉について、批評はとりわけ敏感でなければならないと思う。そして「生命の回廊」(vol3)掲載の岸田将幸「人と詩論の原初的展望」は、私には典型的な震災後の言葉と映った。この極めて難解な論考は、マルクス資本論やハイデッガー存在論の語彙を用いて語られた、詩論というよりも言説における“震災後の光景”そのものである。「意味を発生させるもの、それは絶対的にたましひである。」――錯綜する概念語の石積みが崩れて、その裂け目から「たましひ」というような非=概念語(あるいは死語)が唐突に現れ出るさまは、言語野における地殻破壊後の光景、ひび割れた論理脈の断層が痛々しく露出したままの思想の光景というに相応しい。その背景には、恐らく現在までのわが国の戦後詩論の累層した土壌が、震災体験を経ることで一気に液状化を起こし、それ以前からの批評的言説の延長上では、もはや何事も語れなくなってしまったという、切迫した動機が横たわっている。
 抒情ということを岸田は、人それぞれが自らの「心的な土壌を曝す」ことだと断言する。彼が「土地」の比喩をもって詩の言葉の根底を必死に志向している姿は、私にはとても偶然とは思えない。さらには「土地を曝す、という過程ではなく、土地そのものが言葉を発する」ような「瞬間の発語」を考えなければならないとまで、彼は言う。とにかく何もかもが変わってしまった。それも突然に。言語野における復興は、その方途を破壊された大地性のうえに根付かせていくしかないということだけは、唯一確かなように思われる。
(詩人・批評家)
【 2012/01/18 20:06 】

| 詩歌 |
「生命の回廊 vol.3」ご執筆者紹介 井口和泉さん
今回が初登場の最後の一人、井口和泉さんは、その文章の瑞々しさに、今号を読んでくださった方は驚かれたのではないかと思いますが、なんと料理研究家です。
浦歌無子さんとご一緒に詩の朗読とお菓子のイベントなどを開催していました。
異ジャンルからの勇気あるご参加、ほんとうにありがとうございました。

料理研究家でありながら、その知識は、文学、陶磁器などにも多岐に及び、驚嘆していました。
ひろたえみさんなどは、私と興味の対象が近く、といっても、私のほうが圧倒的に知識量が少ないのですが、映画や舞台や本の話も、つーかー的に話が巡るのが楽しいのですが、和泉さんからは、いつも興味深い本を教えてもらっています。それがなんというのか玄人好みと言いますか…渋いところを突いてきて、うーんとうなります。
井口和泉さんも、文学系の場では、初めての執筆になると思います。

和泉さんの料理は、野菜を中心とした素材を大切にしたものが中心で、ここでも度々ご紹介したので、私を経由して読者になっている人も多いようでうれしいです。
おいしそうなブログには、料理のヒントなども書かれていますので、ぜひご覧ください。

人としても、実に賢く着実、心もきれいで、意志も強く、苦しい時、迷った時に、助けてもらうことが多かったです。
生きるうえでの規範のようなものが私と近いので、自分が渦中にいて物事がよく見えなくなっているときに、彼女の意見は、私の判断をさらに賢明なのものにしたように感じられました。私よりもずいぶん若い友人ですが、いつも頼りにしています。

私は、ライブで作品を朗読をするとか、「生命の回廊」を創るために、読む必要がある…というような、仕事にならないと、笹井さんのことに、うまく向き合えず、なくなってからは歌集を開くこともできませんでした。写真をちゃんと見ることができたのも最近ですが、3年近く経っていました。
今でもそのような状態ですので、訃報を受け取った時は動けなくなり、早く行きたいとは思っていたものの、一周忌に、まだお骨のあるご自宅にお邪魔するのも、ほんとうは苦しかったです。

有田に入るのは、ほんとうは長崎空港から向かったほうが早いのですが、最初に福岡に寄って、和泉さんと、今回もご参加の、浦歌無子さんに会ってもらいました。
彼女も、私が苦しい時に、その存在自体に助けられた友人です。
その時に和泉さんは、前日の撮影が夜中までに及び、ほとんど寝ていない状態で、私を家に招いてくれたのです。

自分がほとんど寝ないで準備してくれたのにも関わらず、私に眠れているかどうか聞き、気遣いながら出してくれたお料理は、みなとても心がこもっていて素晴らしく優しく、感涙しました。
私の心と体に沁みたその料理のこと、その日の友人達の心遣いと善意を、私は、ずっと忘れないでしょう。
その時のことは、ここに少し書いています。 
* 【命のスープ

帰りには、これから有田から長崎を巡る予定の私に、疲れた時に飲むようにと、鮮やかなピンク色の手作りの酵素を渡してくれました。
こうして、私は、やっと有田に降り立つことができたのです。

井口和泉さんは料理が独創的なだけでなく、人間の生活から総合的に考えることができる人で、その文章力も素晴らしく、将来には、辰巳芳子と白洲正子をたして2で割り、カジュアルにしたような感じにビッグになるのではないかと、これからのご活躍を期待しています。



笹井さんには会えなかった私は伊津野さんを通じて笹井さんを知りました。伊津野さんの朗読を初めて観たとき、さまざまな匂いや手触りをともなった感情がめまぐるしく目の前に広がり、激しい嵐の中の真ん中の、静謐な中心を見たように思った。その静けさは、祈りという形容がもっとも近い。朗読を観た帰り道に、西行が「栂尾明恵上人伝」の中で、「歌の心は」と問われて、「和歌は如来の真の形態であり、歌を詠むことは仏像を造り、秘密の真言を唱えるにひとしい」と答える有名なくだりを思い出していた。歌を詠むということは、命の、心の、もっとも深く澄んだ場所から両手ですくいあげた祈りを捧げることなのだろう。

 (井口和泉『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』五首選より 「生命の回廊 vol.3」)

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井口和泉 Izumi IGUCHI  
 
料理家
「九州の食卓」「西日本リビング」連載中
メディアへのレシピ提供と撮影の他、コンセプチュアルな商品開発に関わる。
浦歌無子との朗読のお菓子のイベント「繭」など
http://izumingocurry.blog68.fc2.com/
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【 2012/01/13 18:56 】

| 詩歌 |
revitalize
元旦にもとめた百合の花が、十日をかけて満開になり、部屋のなかが濃密な香りに満ちている。今年も十日分を過ぎたことを告げている。
冬は、花がゆっくり咲くいてくれるからいい。
などとのんびり言っている場合ではなく、今年こそは勤勉に働かなければと思っていたものを、ずいぶん休んでしまった。routineは、こなしつつも、冬は、どうも体がうまく動かない。
去年は、今ごろ風邪の後にノロにやられて、ひどく苦しんだことを考えると、今年は年末年始も寝込まず動いているだけ、まだずいぶんと上出来である・・・ということにしよう。
私基準では、ずいぶんよい冬を過ごしていることは、もしかして新しく始めた治療のおかげかもしれない。

そのほかに、12月に私が弱っていたので心配してくれた、日本画家の橋本紀子さんにいろいろ教えていただき、フラワーエッセンスを飲むようになりました。
これは医学的には解明されていないのですが、私のようになんだかよく分からない状態の人には、よいようです。
紀子さんありがとうございます!
私も最初は、痛みにアロマテラピーがいいとかを読んで、そんな…と思っていましたが、香りや鍼やマッサージというものは、西洋医学だけでは改善されない人には、特に向いているように感じています。

年末のにぎわった街のなかのニールズヤードで、一つのエッセンスを選ぶのに、初めてのことなので、とても迷いました。
それ自体は、匂いも味も特にするものではないからです。

私が選んだエッセンスは、初心者向けにブレンドされているもので、「revitalize」と名前でした。
今年は、たくさんの人に会い、たくさん仕事をしたい。

日本も、私も、新しい命に満ちますように…

【 2012/01/13 10:25 】

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2012年
新しい年になりました。
みなにとって、穏やかで明るい希望のみえる一年となりますように。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。



がんばって、なるべく両親のことをして過ごした年末年始となりました。
母にと思った蝋梅と南天の枝が、妙に立派過ぎて、元旦の初詣に向かう人達の多い電車のなかで少し迷惑でした。

かなり頑張らないと、いろいろなことができないため、いつも年末年始は一人で静かに休息しているのを、いつになく頑張ったために疲れたのか、身体の自由を奪われたうえに廃墟に長い年月を閉じ込められていた夢をみていました。
その年月が、十年とか三十年とかと言われて、どうしてそのような状態で生きていたのか自分で驚いていましたが、どうやら複数の人から助けられ、歩けるように誰かが処置をしてくれていて危機は脱したようでした。
なんで年明けにそんな夢をみたのだろうと悲しい気持ちでしたが、決して悲しい夢ではなく、理不尽で不自由な苦しみから解かれた希望の夢だったと思い直しました。
確かに今までは、そのようなところにいたのかもしれませんが、回復の夢なのでしょう。
自分をがんじがらめにして閉じ込めているのは、ほんとうは自分自身かもしれません。
どんなに辛い環境や、身体的状況でも、心のもちようで、自分自身を少しでも自由にして幸せになる方向に導いてあげなければいけません。
新しい治療法を始めたばかりの私には何よりの、幸先の良い夢だったようです。

帰りには自分のために、薄いオレンジシャーベット色の薔薇と百合の花を買いました。
思いがけずに心のこもった贈物やカードやメッセージなど届いて、うれしいです。

明るいビジョンをもって、みなにとって幸せな2012年してゆきましょう。
【 2012/01/02 19:38 】

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